~日々のしまだより~
一年経ちました。
あの災害から一年が経過しました。
以下は毎日新聞の記事です。
昨年10月に東京都大島町(伊豆大島)で起きた土石流災害で、ツバキの工芸職人、渡辺昇次郎さん(70)は妹の米本孝子さん(当時65歳)を失った。若い頃、母の介護を任せきりにした。その恩を返したいと思いながら果たせず、後悔が募る。いつしか、伝統工芸の灯を守ることが自分の務めと思うようになった。「妹が愛した島の未来に尽くしたい」
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小鳥がさえずり、暖かい日が差す山のふもとの工房。渡辺さんは黙々とペンチを使ってツバキの実を加工し、キーホルダーなどアクセサリーに仕上げていた。「旦那さんとは近所で評判の仲だったんだよ」。妹を思い出すと手を止め、窓の外を見つめた。
孝子さんは自宅で夫(同70歳)とともに土石流にのまれた。約3週間後に海辺で遺体が見つかってまもなく、体を壊していた長姉(同74歳)も後を追うように亡くなった。2人とも「ミス大島」に選ばれた経験がある自慢の姉と妹だった。
60年前。43歳の母が脳梗塞(こうそく)で倒れて寝たきりになり、家族で力を合わせて世話した。だが、渡辺さんは地元の中学を卒業すると集団就職で島を離れる。東京・谷中のパン屋で働き、5年ほどで島に戻ると、ツバキの工芸職人になった。
島のシンボルは火山と島内各地に咲くツバキだ。ツバキの実などを使った工芸品は、島内に約300万本が咲きそろう毎年1~3月の島の最大行事「椿(つばき)まつり」を中心に当時増え始めた観光客に人気で、仕事は引っ張りだこだった。結局、母が56歳で亡くなるまでずっと介護を担ったのは、長姉と孝子さんだった。
2人への感謝を込め、5年前から計画を温めていたのが、都心への家族旅行だ。「『ここが二重橋 記念の写真をとりましょね』って、島倉千代子の『東京だョおっ母さん』のような旅を想像してね。風呂場で歌ってたんだ」。だが、相変わらず仕事に追われた。
1年前、夢は突然消えた。「どこか旅にでも行ってるだけじゃないか」。しばらくは妹の死を受け止めきれず、不意に涙があふれるなど不安定になった。だが、椿まつりに向けて手だけは自然と動いた。「仕事をしている間は全て忘れられるから」。出店にこぎ着け、客から次々と「また来るよ」「頑張って」と声をかけられると、気持ちが前に向き始めた。妹も古里のツバキを愛し、よく工芸品を買いに来てくれたことを思い出した。
11月になると、自宅の庭先のツバキが赤い花を咲かせ始め、次の椿まつりに向けた作業は佳境に入る。島内の工芸職人は今や数人を残すだけで、30年前と比べれば10分の1だ。「この仕事を絶やすわけにはいかない」。渡辺さんはそう心に決めている。【狩野智彦】
私たちはツボクサ・モリンガ・長命草で復興を目指します。
~合掌~